2014年 06月 13日
拾遺 東保光session |
古語拾遺、宇治拾遺物語、拾遺和歌集、拾遺愚草、、日本には拾遺と名のつく書がいくつもあります。時代の選択からこぼれおちてしまったものを後になって拾わなければならないと思うことがあります。拾遺とは、漏れ落ちたものをひろって補うこと。またはそうしてつくったものの意です。
今回の東保光sessionは、過去に生まれ人々に愛され、一時は娯楽の大きなムーブメントを巻き起こしたにもか関わらず消えていってしまったり、または郷土芸能の一表現として埋れてしまっている日本の音楽をオマージュします。現代の芸術表現から顧みられず漏れてしまった音楽文化を、現在生まれる音楽として拾遺します。
今回拾遺する音楽は、“鉦叩”という中世の放浪芸として、また盆踊りなど日本のダンス音楽の源流として一世を風靡した踊り念仏系譜の音楽、“日本の鉦音楽”です。また前回に引き続き、日本の雨乞い歌も拾遺すべき音楽として題材に取り上げます。
●日本の鉦音楽
日本の音楽を見渡してみると、鉦と呼ばれる楽器には、歌舞伎や祭礼につかわれる摺鉦(チャンチキ)や雅楽の鉦鼓、仏教法具系の伏鉦(松虫)、双盤などがあります。私は楽器の分類に関して詳しくないのですが、その形状から銅羅と呼ばれているものもまた鉦類に含まれるのでしょうか。
日本の金属製パーカッション類には、これら鉦類の他に、様々な鈴(すず)類や鈴(れい)、また、仏教法具である磬子、密教系の銅拍子など多種多用に存在します。そして寺院の鳴り物である梵鐘、雲版、鰐口、錫杖、また古代の銅鐸などもこれに挙げられるでしょう。日本には様々な金属製打楽器の音響文化があることがわかります。
今回取り上げる鉦の音楽は、叩き鉦とも呼ばれる鉦、すなわち、円形の金属製で、架にかけたり伏せたりして、撞木(しゆもく)で鳴らす鉦(双盤)を使った音楽です。
鉦(双盤)を中心とした音楽、これは、鉦叩としての中世芸能、そして踊り念仏から念仏踊の系譜として民衆に伝えられたダンス音楽系のもの、また仏教寺院でおこなわれる儀礼系の音楽、双盤講などがありますが、私はこれらを“仏教信仰の鉦の音楽”という括りで大きく捉えて日本の宗教音楽史のなかに位置付けて考えたいと思っています。またこれはおそらく独自の考えかたかもしれませんが、歌舞伎の下座音楽、またはチンドンで使われる、チャンチキ(摺鉦)と呼ばれる小型の鉦は、この鉦の音楽の世俗化とともに受け継がれたものとしてここに括りたいと思っています。
鉦の音響文化の現在をみてみますと、仏教儀礼の音響の中心として寺院でおこなわれる儀礼の音楽、また双盤講など、または和太鼓の音楽や太鼓中心の郷土芸能に補足的に使用されていたりしていますが、鉦は楽器としては、現在はおそらく一般的に地味な存在だと思います。
しかし、元々この仏教の法器である鉦は、かつて空也が寺院から市井に出て鳴らし、そして、一遍や多くの聖たたちによって世間にその音が響きわたり、仏教の民衆化とともに人々にひろく受け入れられ多くの人々に愛された楽器なのです。この鉦の音響とともに仏教が日本の庶民ひろめられていったというのが私の考えです。
わたしたち日本人はかつて、この楽器を愛し、叩き鳴らし、そして踊り狂っていた時代があるのです。その芸能の音楽は人々を熱狂の渦に巻き込み、その熱狂はイベントで盛りあがりすぎて死者がでるほどであったことが記録からもわかります。その芸能、つまり、踊り念仏と呼ばれる芸能は、中世における阿弥陀信仰のひろまりとともに、人気を博し、やがて風流踊と習合して念仏踊となり娯楽要素の強いダンス芸能として日本全国にひろまりました。中世以降のこの日本のダンスシーンの音楽に重要な役割を果たしたのが、この鉦という楽器なのです。念仏踊が盛んになる頃には太鼓中心のダンス音楽に吸収されてしまっている感も多いですが、初期の踊り念仏は、鉦の音が幾重にも響きわたる、まさに鉦の音楽でした。
中世、寺院をとびだした聖たちによって鉦の音とともに仏教が人々にひろめられ、民衆の芸能のなかにその音響が太鼓の音響とともに、日本の芸能をかたちづくっていった日本の民衆芸能の歴史をみたときに、太鼓の音響文化が現在、それなりに現在の音楽に受け継がれているのに対し、鉦の音響文化は、中世の「鉦叩」と呼ばれる放浪芸や、念仏踊に代表される民衆に伝えられた芸能として日本の芸能に重要な役割を果たしているにもかかわらず、現在の音楽から忘れられている感を感じぜずにはいられません。私はこれはとても残念な状況であると思っています。
それでは何故、現在、鉦の音響文化は太鼓のそれほど、現在の音楽表現に活かされていないのでしょうか。私は、この、一度俗世間にとびだした鉦の音の響きは、もともと法器である鉦という楽器の帰属性により、より寺院の近いところでのみ演奏されるように落ち着いていき、双盤講の音楽などに継承されていったと考えています。双盤講の音楽も堂内でおこなう儀礼的なしめやかな響きのものから、初期の踊り念仏を彷彿させる野外で鉦を叩き鳴らし歌う比較的激しいものまでバリエーションがあります。神奈川県の材木座海岸にある光明寺の双盤講の音楽は、野外でのパーフォーマンスにふさわしい猛々しく荘厳な音楽です。
これら双盤講の音楽も、講というそれぞれ地域の信仰コミュニティーのなかで人々に大切に伝え続けられてきた音楽ですが、講という組織時代がなくなりかけている現在は、その音楽もまた失われかけているものです。これもまたたいへん残念なことです。そして、おそらく近代以降の宗教文化の芸術や教育からの断絶からつくられた日本人の宗教全般に対する意識、どこか宗教を敬遠、嫌悪する感覚というものが、現在の音楽文化や芸術表現がこの鉦の音響文化を受け継ぐことができない状況をつくりだしている一因になっているのではないか、と私は考えています。しかし、長い年月をかけて培われた日本の文化において、1400年近い日本における仏教文化の歴史はとてもとても大きな存在です。それは間違いなくわたしたち日本人の豊かな表現文化をつくってきた源のひとつであることは間違いありません。そしてこの仏教が日本の民衆に普及していく過程において鉦の音が、音響文化の視点からみて、たいへん重要であると私は考えています。この鉦の音楽の動きが日本音楽、芸能の歴史と密接に関わっているのです。
日本の精神文化に関わる音響文化という視点で大切だと思われるものは数多くありますが、それらは、現在舞台で公演されている権威をもった伝統芸能と呼ばれるもののなかだけに存在するものではありません。拾遺すべきもの、その音楽をオマージュし、それを題材に今の音楽として、日本のジャズ、即興音楽のひとつのかたちとして演奏したいと思います。忘れられた大切なものを取り戻し、忘れられそうな大切なものをつなぎとめたいと思っています。
今回のセッションは、尺八の小林鈴勘さん、打楽器の小林武文さん、そして初共演になります箏の今西玲子さんをお迎えし、コントラバスの僕が加わった四人編成で音楽します。また、ゲストにダンサーの菅佐原真理さんをお迎えします。音楽と踊りが共存する日本の芸能のかたちが象徴できたらよいなと思っています。
皆様是非お越しください!
《拾遺 東保光session》
7月16日(水)荻窪『velvet sun』
19:30open 20:00start
東保光(コントラバス)
今西玲子(箏)
小林鈴勘(尺八)
小林武文(ドラムス、パーカッション)
guest 菅佐原真理(ダンス)
http://www.velvetsun.jp/
by tohohikarunews
| 2014-06-13 23:39